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海山 太郎(かいざん たろう、1854年7月8日 (嘉永7年6月14日)- 1926年(昭和元年)12月30日)は、元大相撲力士である。明治時代から大正時代にかけて、年寄6代友綱として多くの力士を育成した。現在の高知県香南市香我美町岸本出身、本名は松田→河野貞太郎。最高位は東前頭筆頭(1886年5月場所、1887年5月場所、1888年5月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。 == 来歴 == もとは武家の生まれだったという。地元高知の土地相撲で活躍し、弟子を引き連れて大坂相撲に加入した。1879年(明治12年)9月場所には「海山貞吉」の四股名で入幕、1882年(明治15年)8月場所小結、1883年(明治16年)8月場所には関脇に昇進した。しかしここで大坂相撲を脱退、同じ大坂出身で東京で活躍する梅ヶ谷(15代横綱)を慕って上京、梅ヶ谷のいる玉垣部屋に入門した(所属は後に根岸部屋に変わっている)。1884年(明治17年)1月場所、西幕尻格番付外で東京での初土俵を踏んだ。右四つからの寄り、掬い投げを得意とする堅実な取り口で、16代横綱西ノ海から2勝を挙げるなど活躍したが、3たび前頭筆頭まで進んだものの三役昇進は果たせなかった。 1891年5月場所を最後に引退、年寄・友綱を襲名した。海山の活躍はむしろここからで、弟子の育成に関しては22代横綱太刀山をはじめとして八幡山・國見山の2大関、関脇海山ら数多くの幕内力士を送り出し、角界の一大勢力を築き上げた。弟子の海山は引退後5代二所ノ関として33代横綱玉錦を育てた。現在の二所ノ関一門の源流は6代友綱=海山にあるということになる。 協会運営においても東京大角力協会(現在の日本相撲協会)の首脳である取締に就き、両国国技館の建設に尽力するなどの功労があった。こうした海山の活躍には同郷の政治家板垣退助が後援者にいたことが大きかったとされる。 しかし太刀山の東関が1919年(大正8年)5月場所後の検査役選挙に落選すると自らも取締辞任を表明、周囲が一度は引き留めたものの1921年(大正10年)5月に協会を去った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海山太郎 (友綱)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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